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続・青春VAN日記143

ケント社の巻 その1091990年秋冬)

TIME FLIES LIKE AN ARROW

<石津会長80歳・傘寿に集う会>

時の流れとは、人が年齢を加えるに連れてその早さを増すようだ。
尊敬する我らが会長が、ついに傘寿の年齢に達せられてしまった。

1990929日(土)
VANタウン発祥の地・青山3丁目のベルコモンズ8F大ホールにて“石津会長の傘寿を祝う会”が盛大に開催された。

そしてこの集いは、倒産してから既に12年が経過して、離れ離れになってしまった全VAN社員の最初の大同窓会だった。

 当時のビデオからのキャプチャーです。


かつて私達日本中の若者が興味を持ち憧れたヴァンヂャケット社。
その創業者たるメンズファッションの神・石津謙介。

石津会長の偉大さとは、単なる1ファッション企業の成功者だけにあったのではない。
その功績は、あの全てが無から始まった戦後時代の日本において、工業・製造業・建設業中心の経済復興一辺倒の社会風潮の中で、文化・風俗の先導者として日本高度成長の一翼を担ったことである。

国家とは、国民・領土・主権の3要素によって成り立つが、戦後日本国民の復興に必要なものは、まず“経済の成長”であった。しかし経済力や工業力が成長しただけで、世界の“一流文化国家”になれる訳ではない。

一流国家には“経済力”だけでなく“文化力”が必要なのである。
文化とは、学問・芸術・スポーツなど、人間の精神活動の所産である。

文化を創る人間生活の土台は“衣・食・住”の経済の安定と、正しい教育によって創られる知識・教養・良識・モラル・マナー等の“インテリジェンスやコンプライアンス”である。
(※たとえば歴史ある伝統国家には思想や宗教等がある。騎士道や武士道や、 紳士道や恥の文化等の伝統の精神もある。レディファーストやフェア精神、それらは他者を思いやる心でもあり、利よりも和を考える知性の証明でもある。

たとえば仏教の悟りは自己中心の欲望を捨て諦めることであるし、
キリスト教も“右の頬を殴られたら左の頬を出しなさい・汝の敵を愛せよ”、である。
文化の証明とは慈悲の心やフェア精神や思いやりの気持ちでもある。


かつて中国の周恩来は日本に戦後賠償を一切求めずに世界の尊敬を集めた。
 しかるに、目には目を歯には歯を、と永久に報復を繰り返している国とか、隣国の悪口を世界に告げ口し、侵略の恨みは千年忘れないとか言い出す国は、経済力や工業生産力や軍事力がどれだけ急成長したとしても・・・、世界は、けっして一流文化国家と認めてはくれないのである・・・。)

・・そして、頭でっかちの子供のように経済ばかりが急成長する日本で、良識ある文化・風俗を創る先駆者が石津謙介師であった。

誰もが、金持ちに成りたい・出世したいと考えるあの時代に、莫大な会社の利益は幾度もボーナスを出しては社員に還元してしまい、まわりから何を言われても会社の株式は公開せず、友人の社長連が黒塗り大型車に乗る中で只一人シビックに乗っていたそんな石津社長は、けっして富豪や資産家に成ることは無かったが、そのかわり、日本中の数えきれない程の人達から尊敬され愛された。

おそれながら・・私が推察するに・・、誰からも好かれる石津謙介師の人生哲学の礎を形作ったものは・・、

・伝統の和紙老舗で育った日本人の“おもてなしの心”と、
・岡山の旧制中学で学んだ質実剛健・ノブレスオブリージュの心と、
・何にでも興味を持たれる“エピキュリアン”な御性格と、
・中国天津での移民・戦争・引き揚げ体験と、
・兄上様や新劇友人の皆様達とのデモクラシーの“リベラルの心”と、
・大好きだったアメリカWASPの“フェア精神”や“ジョーク”と、
・中国で身に付いた“儒教や性善説”
                            ・・・だったのだろうか?

当時のビデオからのキャプチャーです。


師の人生は、真摯な“仁・義・礼・智・信”に溢れていた。
「 子曰く、吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩をこえず。」・・であった。

そして、“石津会長の傘寿に集う会”には、日本中の政界・経済界・ファッション界・出版業界・小売り業界から、仲間達が駆けつけ、集まった約千名の元社員と共に、御健康と長寿をお祝いするのでした。

(※この模様は、ぜひビデオでご覧ください。まだ若い頃の懐かしい方々の顔で
   いっぱいです。)



Kentクリスマスパーティat 新宿J19901215
早いもので、恒例・Kentクリスマスパーティも10回目である。

「トラッド業界の諸先輩・諸先生、そして長年ご愛顧のお客様達が
今日こそはと相集う、年に一度の、Kentパーティのご案内です。

今回はプロのバンドをバックにしての“必殺かくし芸大会“です。
はたして石津会長・くろすさん・諸先輩方から何が飛び出すか?
皆様の、皆様による大パーティ。ジャムセッションに歌に踊り、ものまね、マジック・・・我こそはの皆様は楽器ご持参もOKです。

なお、当日は大騒ぎが予想されますので、くれぐれも面白い恰好で
ふるってご参加くださいませ。

司会 チャーリィ湯谷氏
演奏 とまべちよしひさとトーマスバンド、バードマン幸田先生
支配人 北上純  
ボーイ長 守谷孝一  
宴会係 横田哲男 」


そして、楽しかった1990年は暮れてゆくのでありました。

(※楽しかったKentクリスマスパーティの様子は、私の拙い作文よりも、
   ぜひビデオでご覧くださいませ。)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく




“VAN SITE”ZOKU-SEISHUN VAN NIKKI 143
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